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「江戸っ子」の由来


わが国の首都東京は、その昔江戸と呼ばれたのは知らぬ人はいませんね。その江戸で親子三代生まれ育ったものを江戸っ子と呼ぶことはよくご存知でしょう。

「てやんでぇ~、こちっとらぁ~江戸っ子でぇ~。そんなまどろっこしいこたぁ~、我慢ならねぇ~!」

粋でいなせで情にもろく、細かい事にはこだわらない。意地っ張りで喧嘩早いかと思えば、普段駄洒落ばかり言って愉快がっている。・・・う~む、なかなか憎めない性格ですな。(笑!


さて江戸っ子の気質は分かったとして、それではどうして「江戸っ子」と言うようになったか、ご存知でしたか?

江戸っ子の由来について、時代小説の巨匠柴田練三郎が「江戸八百八町物語」で解き明かしています。



家康から秀忠の御世となり次第に平穏無事な時代に移って来ると、旗本大久保彦左衛門のような功名槍一筋に生きた戦場武者は、幕府にとってすでに無用の長物。彦左衛門の不幸は、戦雲あわただしい時勢から、吹く風が枝も鳴らさぬ太平の時勢にまで生き延びたことであったと、筆者は書いています。

齢70歳を迎えても家督を譲るべき息子を持たぬ彦左衛門は、隠居願いも出すわけにもいかず、古稀を迎えたからには毎日登城するのも大儀であろう故、気ままにせよと下命されても、毎日出仕し続けたそうです。しかし、さすがに70なかばを超えると登城もままならず、日長一日屋敷で暮らす日々であったと。

そんな彦左衛門の退屈しのぎに町人を屋敷に引き入れ、彦左衛門が町人たちに昔の武勇話を聞かせたのが、そもそも「江戸っ子」の由来につながったというのです。

彦左衛門が町人たちに語った太閤秀吉の九州征伐の話。秀吉の弟大和大納言秀長を大将とする豊臣勢9万余を迎え撃った、薩摩島津の将兵はわずかに2万余。死を覚悟した薩摩の将兵の腕には、皆「今月今日討死、何の何某」と入墨がしてあったと彦左衛門が町人に聞かせたところ、町人たちが打ち揃って彦左衛門にこう願い出たというのです。

自分たちは駿河から御旗本衆について江戸に出てきたもの。この城下に子々孫々まで住みつく覚悟である。自分たちが他国者たちと違っている徳川譜代の町人だという誇りを持ちたいので、その名前をつけてくれ。そうすればそれを腕に彫って証としたいと。

しばし瞑目した彦左衛門が、「江戸っ子、というのはどうだ」と言うと、町人たちは歓声を上げたと。

以来、町人の間に腕に「江戸っ子何某」と刺青して得意になる風潮が、彦左衛門の屋敷があった神田駿河台一円にひろがったのだと。


旗本の中の旗本、時代劇でも今日にその名を残すあの大久保彦左衛門が、「江戸っ子」の名づけ親だったという話でした。





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