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晦日の満月


今日の朝5時半ころのことです。夜はすでに開けていたにもかかわらず西の空のかなり高いところに薄白く月が輝いていました。満月でした。

昨日の新聞の暦欄には今日の暦が書かれていて、これによれば「2月28日(日)の月齢16.3、日出6.13、日入17.35、月出18.36、月入6.56」とあります。

確か満月だと月齢は15でしたか。なるほど16.3であるなら少し欠け始めたとはいえ、私の目には満月に見えたということでしょうし、月入りが6.56ならば、月の位置がまだ高いところにあったというのもわかります。まだそれから1時間半あまり月が観測されるということになりますが、日出が6.13ですから、実際は月が輝いていられるのも30分余りということになるのでしょう。

現在我われが用いている暦は、太陽の軌道上をおおよそ365日かけて一回りする地球の運行をもとにしている太陽暦であることは、皆さんご存じのことでしょう。それまでは月の満ち欠けをもとにした太陰暦を使用していたということも同様ですね。新聞の暦欄には今日2月28日が旧暦の1月17日に当たることも書かれています。

わが国でそれまで千年以上も用いてきた太陰暦が現在の太陽暦(グレゴリオ暦)に改変されたのは、明治5年のこと。1872年(明治5年)11月9日、当時の明治政府は、この年の12月3日を1873(明治6)年1月1日とすることを発表したのでしたが、この闇雲ともいえるほどに改暦を急いだ経緯についてものの本で読んだことがあります。

近代国家の建設と世界から文明国家と認知されるには、太陽暦の採用は必然だったことは言うまでもありませんが、当時鉄道の開業、学制や徴兵令発布などさまざまな改革の実施により、明治政府の財政は破綻寸前に追い込まれており、このことが改暦までの期間が僅か23日という突然の実施につながったというのは、耳に新しいことです。

旧暦では明治6年は閏の年(閏月を間に挟み、1年を13ヶ月とする)にあたり、改暦することによりこの1ヶ月と明治5年の12月の1ヶ月、都合2か月分の人件費をはじめとする政府予算を節約できると、当時の参議大蔵卿であった大隈重信が考えたことがそもそもの発端だというのです。

月の満ち欠けを基準とした太陰暦で生活してきた庶民は、突然の太陽暦採用により大混乱したのは言わずもがな。大陰暦だと毎月1日と月末は新月、15日が満月、その間を月が満ち欠けすると決まっていた。「晦日(30日)に月が出る」とは、当時絶対にありえないことを例えて言ったものですが、太陽暦になればそれがありうることになり、庶民は「30日に月が出れば、玉子の四角もあるべし」と嘆いたということです。


私が今日晦日の28日早朝に見た月は、まさに四角い卵級の満月であったということになりますね。(笑!







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