線路は続くよどこまでもPART4
このたびの東北地方太平洋沖および長野県北部を震源とした地震により被害を受けられた皆さまに、心よりお見舞いを申し上げます。
一日も早く復旧がなされ、復興されますようお祈り申し上げます。
我が身をかえりみず文字通り命をかけて原発の復旧作業に取り組む東京電力と関係会社の皆さん、そして自衛隊の皆さんの懸命のご努力が効を奏し、この危機が安全のうちに収束することを願ってやみません。
昨日東北新幹線が完全復旧し、45日ぶりに青森と東京が再び結ばれというニュースをNHKで見ました。沿線の被災された住民が東京からやって来る「はやて」号に、歓声をあげてビックウエーブで迎えている映像に胸が熱くなり、こみ上げてくるものを禁じ得ませんでした。このようなことは、開通したときでもなかったことですから・・・。
震災発生のおよそ一月前のこと、昭和を走った名列車が次々と退役するというニュースに、「線路は続くよ、どこまでも」という誰しも口ずさんだことのある歌について、つたない思いを綴っています。
まさしく「この線路は、明るい未来につながっている」、「僕たちの夢をつないでくれている」という思いが、ビックウエーブになったのでしょう。
どこかに故郷の 香りをのせて
入る列車の なつかしさ
井沢八郎が歌い大ヒットした「嗚呼、上野駅」、この歌は昭和30年代、40年代に東北地方から就職列車で上京した東北人の心情を歌ったものですね。
まさしく昭和の高度経済成長は、東北地方から上京した実直で勤勉な東北人の手によって支えられたのでした。
さらにこの歌の続きを歌えば、
上野は俺(おい)らの 心の駅だ
くじけちゃならない 人生が
あの日ここから 始まった
未曾有の大震災から45日、今度は東北新幹線「はやて」号が、東京から東北へ再び通うことが叶ったこの日こそ、「くじけちゃならない人生」の再出発の日となって欲しいものだと強く思ったことでした。
