田舎の野球少年だったころ・・・。
私が物心ついたころ、遊びといえば決まってゴムボールを拳のバットで打つ三角ベースの野球でした。近所の年長の悪ガキに混じって、一緒にやらせてもらった・・・ていうか、人数が足りないので年少の私でも混ぜてもらえたというのが本当のところですが。。。
本日の日経最終面文化欄「私の履歴書」、今日で元ヤクルト、西武監督の広岡達郎氏が終了しました。最終の30回目にご家族について書いておられます。このコーナーで、ご自分の家族をわざわざ最後に紹介されている方は珍しいですね。広岡さんのお人柄の一端をうかがい知ることができます。
「現在孫は6人いてそれぞれ優秀で先行きが楽しみだが、残念ながら野球を続けている者はいない」とお書きになっているところを見れば、やはりご自分が情熱を燃やしたプロ野球の道を目指す者がいてほしかったのだなと想像できます。
しかしながら、ご長男の娘さんが宝塚に入団しておられるそうで、現在は星組の3年目、麻央侑希さんとおっしゃるのだそうです。1メートル75センチの長身ということだから男役でしょう。広岡さんのご期待が手に取るように伝わってきます。
さて広岡さんご自身については、監督時代のご活躍はよく知っているのですが、現役時代についてはあまり知りません。私が物心ついたとき、プロ野球はミスタージャイアンツ長嶋の時代でしたから、広岡さんはそれより少し前の世代、川上さんが4番を打っていたころにチームメイトとして活躍された方ですね。残念ながら実際にプレーをされている姿は記憶にありません。
私が広岡さんの名前を知ったのは、近所の野球友達(私よりも3~4歳年上、・・・野球仲間では私が一番年下だった)が、こんな駄洒落をよく口にしたからでした。
「オー、金だ、拾おうか・・・。(王、金田、広岡)」
子供心にも、どうして長嶋が入っていないんだろうと不満でしたね。(笑!
どうしても長嶋を入れたくて、私が中学生になってから苦労のすえにようやく考え付いた駄洒落がこれです。
「オー、金だ、拾おうか・・・、ムリ、流し目。。。(王、金田、広岡、森、長嶋)」
「流し目」なんていう言葉が使えるようになったところをみれば、確かに小学生から中学生へと、体ばかりではなく心も成長していたのだなと、今さらながら懐かしく思い起こすのです。
