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「さわやか流」


貴方は感情をストレートに出す方ですか、ぐっとこらえて冷静を装おう方ですか?

貴方がどちらのタイプかは別として、見た目カッコいいと思われるのは、ストレート派でしょうか、冷静派でしょうか?

私は冷静派がずっとカッコいいと思っていました。「角が取れて丸くなる」と先人の言葉にあるように、穏やかなで円熟した人柄が理想と思っていましたが。。。

ウエブトピックスより
怒りっぽい人の方が長生き?感情は表に出すほうが健康的

・・・ナニナニ、かんしゃくを起こしたり、負の感情を表に出すことは、長期的に健康を維持する上で重要な要素であり、寿命が数年延びるですと?

感情を表に出すイタリア人やスペイン人の方が、感情を抑えようとするイギリス人よりも長生きするとも。

ほぉ~、そういうものですかね。「顔で笑って、腹で泣く」、いつも辛い男に甘んじて生きて来たのは、フーテンの寅さんでしたね。もし寅さんが実在の人物なら、さぞかし早死したのではないかと思われる研究結果ですが。


すでに故人となられましたが、この方の生き様はどうであったか?
将棋の米長永世棋聖は、自ら「さわやか流」と称する一方で、不利な局面になっても局面を複雑化して相手に容易に決め手を与えない粘着質な指しまわしは、「泥沼流」とも呼ばれていました。

この「さわやか流」と「泥沼流」について、自身生前にこのような主旨のことをおっしゃておられたのをテレビで聞いたことがあります。

「ボクは本来の性は陰湿で、ものごとにいつまでもネチネチとこだわり続ける"泥沼"タイプといえるかもしれません。しかしボク自身それがいやで、うわべは明るくて朗らかで"さわやか"を装っているんです」と。

米長さんの69歳の生涯は、現代では決して長生きとは言えないでしょうから、もしかしたら「泥沼流」をおし隠してきた「さわやか流」の生き方に、その原因があったといえるかも知れませんね。

でも米長さんのことです。たとえこのことをご存じなかったとしても、「さわやか流」の一生を通したいとおっしゃったはずですし、そのとおり見事69年の人生を全うされました。


激した感情をぐっとこらえて、何事もなかったように微笑む男の横顔こそ何にもまして魅力的だと思うのです。






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「もし自分の年齢を知らなかったら、今の自分を何歳だと思うかね?」


もし自分の年齢を知らなかったら、あなたは今の自分を何歳だと思いますか?

確か日経のスポーツ欄でコラム「チェンジャップ」を投稿されていたプロ野球評論家豊田泰光さんが、書いておられました。

「もし自分の年齢を知らなかったら、今の自分を何歳だと思うかね?」

アメリカ大リーグで59歳までプレーしたという伝説の黒人投手サチェル・ペイジの言葉だそうです。


「人間五十年、下天の内をくらぶれば・・・」と、幸若舞を舞って自裁した信長の享年がまさしく49歳であったごとく、当時の日本では人の一生は50歳。それよりさらに10年生きながらえて60歳までいられようものなら、それこそ恩の字としたものでした。

現代に戻って、男性の平均寿命は80歳といいますが、私的には人の一生70年、10年生きながらえて80歳まで健康でいられようものなら恩の字というのが偽らざる心境です。

信長の時代と現代の節目の年齢を除算してみると、50÷70=0.71 60÷80=0.75 となりますね。


そこで冒頭の問いに戻りますが、実年齢×0.75 で答えられた人は、健康で気力も充実していると言っていいかもしれません。

60歳なら45歳、50歳なら38歳、40歳なら30歳・・・というように。


まあ、経済的な理由は別にして(涙!)、いつまでも健康で働き続けたいものだと願っております。


しかし、健康で気力も充実しているから、65歳まで働いてリタイヤするかなどと言っていたら、実年齢は87歳(65÷0.75=87)ということになりますぞ。(笑!

じゃ~、そういうお前はどうなんだ?


・・・まあ、せいぜい健康に注意して仕事に励みたいものだと言っておきましょう。(苦笑!






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松井のそういう所も大好きです♡


夏の全国高等学校野球選手権、甲子園の熱い戦いが昨日終了しました。

強豪大阪代表の"履正社"が北陸の雄石川代表の"星稜"を下し、日本一の座を勝ち取りました。

高校生では打てないとまで言われていた"星稜"のエース奥川君の投ずるスライダーを、バックスクリーンまで運んだ"履正社"の4番井上君の一振り。

・・・う~ん、投げたも投げたり、打つも打ったり。

甲子園の歴代名勝負として永く語り継がれることでしょう。


実は私の地元は、"星稜"のお隣の富山県。心情的には同じ北陸勢"星稜"を応援したくなるのですが、富山県代表の"高岡商業"が準々決勝で"履正社"に破れていたので、"履正社"も応援したくなる。どちらにも勝たせたいという決勝戦だったわけです。

ところが「勝者と敗者が必ず出てしまうのが野球です」と、この方もおっしゃっていますね。

残念ながら涙をのんだ"星稜"ナインでしたが、「母校のそういう所も大好き」とコメントされた"星稜"OB松井秀喜氏。


私( ← 永遠の松井ファン)は、松井のそういう所も大好きです♡





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カンバック、松井!PART3


わが故郷富山からNBA選手が誕生したというニュース、しかもドラフト一巡目指名という快挙のニュースが、日本中を駆け巡りました。

富山市立奥田中学出身で、当時バスケット部のコーチの先生から、「お前はNBA選手になれる」と無理やりバスケット部に勧誘されたという逸話も、盛んに報道されていますね。

私はというとまったくの野球世代で、中学に入って初めてバスケットなるスポーツを知ったくらいですから、実はNBA一巡目指名がどれだけすごいことかわかりかねていました。

そんな私ら野球世代のオジサン族のことをおもんばかってか、地元紙に「野球で例えれば、ワールドシリーズで最優秀選手に選ばれた松井と、日本人初の大リーガーピッチャー野茂くらいにすごいことだ」と書いてありました。(笑!

別の新聞では、「立教の長嶋がいきなり大リーガーに指名され入団するようなも」とも書かれていましたからね。

・・・それなら確かにすごい。(笑!

まずは八村選手、夢が叶って良かった。おめでとう!



さて、八村選手の快挙に関連して、こんなスポーツニュースの見出しが目にとまりました。

ウエブトピックスより、
松井秀喜氏、八村NBA1巡目指名で野球離れ危惧?

・・・確かに。来年の東京オリンピックの日本代表選手として八村選手が出場し活躍すれば、バスケット人気に拍車がかかること間違いないでしょう。若い有望なプレーヤーの卵がバスケットに取られると、松井氏が危惧するのもわからないでもありません。

ならば永遠の松井ファンであり、かつ永遠のジャイアンツファンを自他共に認める私としては、ここで声を大にして言わなければならないというものです。


ゴジラ松井よ!いったいいつまで待てば、背番号55のジャイアンツのユニフォームに身を包み、東京ドームのグランドに立つ貴方の姿を見ることができるのだと。

指導者として指揮をとる貴方の雄姿を再び目にすれば、日本中の野球少年は再び奮い立つに違いありません。(ジャイアンツファンの野球オジサンなら、気絶ものです・・・笑!


カンバック、松井!

我が郷土富山出身NBAプレーヤー八村塁選手の活躍を祈ると同じほど、松井秀喜氏の日本プロ野球・・・ではなかった、ジャイアンツ復帰を願ってやまない永遠の松井ファンがいることを忘れないで欲しい。






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「遊遊漢字学」が楽しみ♪ PART49「宋襄の仁」



毎週日曜日のお楽しみ、漢字学者阿辻哲次氏の日経連載「遊遊漢字学」。今日阿辻先生が取り上げたのは、「宋襄の仁」という諺について。

その由来は中国の春秋戦国時代、「泓水(おうすい)の戦い」の故事にまで遡ることになるといいますから、紀元前の話になります。

中国春秋時代の紀元前638年、宋の襄公と楚の成王が泓水で対峙した。圧倒的な兵力を誇る楚軍は、宋軍陣地目指して泓水を渡河し始めた時、宗軍の参謀は敵軍が川を渡りきる前の今こそ、攻撃を仕掛けるチャンスであると襄公に進言したが、襄公は君子たるもの敵が困っているとき仕掛けるのは潔くないと取り合わなかったため、宗軍は川を渡りきり陣を完成させた楚軍に散々に打ち破ぶられてしまった。

この故事から、つまらない情けをかけてひどい目にあうこと。無益の情けのことを指して「宋襄の仁」というと阿辻先生は教えてくれています。

孔子は、その思想の中で最も重要と考えた徳目が「仁」で、君子は仁者であるべきと説きました。その思想は歴代の中国皇帝が踏襲したばかりでなく、わが国においても江戸時代の幕府の治世の根幹に置かれたことは、皆さんすでにご承知でしょう。

襄公も君子でありたいと願ったのでしょう。「宋襄の仁」は今日でこそ襄公の判断の甘さを強調した意味で用いられていますが、君子たらんとして劣勢の群を率いて堂々と真向から強敵に挑んだ襄公を賞賛する文献も見られるということです。

今私は、海のない甲斐の国に塩を送った上杉謙信の「天与の塩」の故事を思い浮かべています。謙信を襄公に比べるという話は未だかって聞いたためしがないごとく、ものごとはすべからく行き過ぎるということがあってはいけないということかも知れませんね。

阿辻先生いかがでしょう。






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