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酒にまつわるもろもろの話 PART21「武蔵野」


江戸の美味いものを題材にして、当時の人々の暮らしと生き様を鮮やかに蘇らせるエッセイ「大江戸美味草紙(むまそうし)」(杉浦日向子著)。今回はその「酔い覚めて」の章より題材をお借りしました。

江戸の住民は酒が大好きだったというお話。

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江戸人はどのくらい酒を飲んだか?杉浦さんは文献を徹底的に調べて、当時の酒量をこう計算しています。

上方から入って来る上質な清酒(下り酒)は、一樽が3斗6升入りで年間100万樽。当時の江戸の人口を100万人として、その半数が飲酒したとすれば、1人1年7斗2升、一か月6升。すなわち一日2合、休肝日なし。

このほかに関東の地酒が年間15~16万樽、焼酎が3万樽消費されたことを合わせると、まさに江戸は酒びたしの街であったと。江戸ッ子がおっちょこちょいで喧嘩ッ早いのは、いつもほろ酔いかげんだったからではないかとまで言わしめています。


武蔵野は月の入るべき山もなし 草より出でて草にこそ入れ


かって逢坂の関より東に足を踏み入れたことがなかったという平安の都人にとって、武蔵の国はへき地もへき地。人の住むところでないと思われていた。事実見渡す限り手つかずの原野が続いていた。すなわち、野見尽くせぬ地。呑み尽くせぬ・・・。

そこで呑み尽くせぬほどなみなみと酒の入る大盃のことを「武蔵野」というと。


この「武蔵野」を使った大酒飲み大会の記録が残っているのだとか。文化14年(1817年)3月23日、両国柳橋の料亭「万八桜」で行われたのだそうです。その記録たるや俄かには信じられないほどの大記録。

68歳の堺屋忠蔵さんは、3升入る「武蔵野」で3杯(9升)飲んだとか。かたや30歳の鯉屋利兵衛さんは、こちらはなんと6杯半(1斗9升5合)。さすがに酔いつぶれてしまったそうですが、この話には続きがあって、利兵衛さんは目覚めてから茶碗に水を17杯飲んだということです。

・・・よく目が覚めたものだと感心しますね。(笑!


酔い覚めのぞっとするとき世に帰り

あの世から急転直下生還したような気持、したたかに酔いつぶれ、目覚めたときの酒飲みの心中を押し測った川柳、見事ですね。

酔い覚めに水を17杯飲んだという利兵衛さん、閻魔大王に酒臭いと言われ、この世に舞い戻れたのでしょうかね?






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酒にまつわるもろもろの話 PART20「酒を勧む」


酒の起源はというと、少なくとも紀元前17世紀の中国にまで遡らなければなりませんから、そうする3700年余り人は酒を飲んで来たということになりますね。

人生のさまざまな場面で、人は酒の力を借りなければならなかった。惜別に酒はつきものですし、人は孤独ゆえに酒を勧めあうことで互いの絆をより固いものにしようとした。限りある人生ゆえに人は酒に頼らざるを得なかったとしたならば、酒は人の生き方に大いに関与して来たと断じてもよさそうです。


李白は山中で幽人と「一杯一杯復一杯」と杯を重ねあったというし、杜牧はやはり友と酒壺を抱えて斉山に登った「与客携壺上翠微(客と壺を携えて翠微に上る)」という。

王維は「勧君更盡一杯酒(君に勧む更に尽くせ一杯の酒)」と、異郷の地に旅立つ友を玉門関に送り、卯武陵は「勧君金屈卮」と言って友との別れを惜しんだ。

この晩唐の詩人・卯武陵の五言絶句・「酒を勧む」が、「漢詩酔談」(櫛田久治・諸田龍美著)の最後に紹介されていました。


  勧 君 金 屈 卮   君に勧む金屈卮(きんくっし)
  満 酌 不 須 辞   満酌(まんしゃく)辞するを須(もち)いず
  花 発 多 風 雨   花発(ひら)けば風雨多し
  人 生 足 別 離   人生別離足(た)る


金 屈 卮 とは宮中の宴会に用いられた淵に持ち手のついた酒器。僕はこれになみなみと酒を注いだのだから、これを君は拒んではいけないと言っている。ここまでされると、たとえ下戸であっても杯をぐっと一息に干さぬわけにはいかないとしたものです。(笑!

そして花には嵐が待っているし、人には別れ(死)が避けられぬのも理(ことわり)だと。


昭和の文豪井伏鱒二の名訳もいっしょに紹介されていたので、そのまま載せておきたいと思います。ご鑑賞ください。

  コノサカヅキヲ受ケテクレ
  ドウゾナミナミツガシテオクレ
  ハナニアラシノタトヘモアルゾ
  「サヨナラ」ダケガ人生ダ







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酒にまつわるもろもろの話 PART19「飲酒」


酒にまつわるもろもろの話と題して、「酒」が歌われている漢詩を見てきました。歴史に名を残す唐代の三大詩人、李白、杜甫、白楽天も酒をこよなく愛した。まあ、酒をこよなく愛したのは何もこの三人に限ったことではないのは言わずもがなですが、「酒」といえばどうしてもそのものずばり「飲酒」と題した陶淵明の五言古詩に触れないわけにはいきません。とりわけその古詩の中でも第五詩が有名ですね。 ちなみに陶淵明は唐代の三大詩人よりも300年ほど前に生きた東晋の詩人。三大詩人の詩に大きな影響を与えたといわれています。


 結廬在人境   廬(いおり)を結びて人境に在り
 而無車馬喧   而(しか)も車馬の喧(かしまし)き無し
 
 問君何能爾   君に問ふ 何ぞ能く爾(しか)ると
 心遠地自偏   心遠ければ 地 自ら偏(へん)なり

 採菊東籬下   菊を採る 東籬の下
 悠然見南山   悠然として南山を見る

 山気日夕佳   山気 日夕に佳(か)し
 飛鳥相与還   飛鳥 相ひ与に還る

 此中有真意   此の中に真意有り
 欲弁已忘言   弁ぜんと欲して已に言(ごん)を忘る


陶淵明について調べてみると、官職を望みながらなかなか叶わなかった唐代の三大詩人とは違って、陶淵明は20代の終わりにかの科挙の試験に合格して中央政府の官吏に登用されていますから、杜甫にしろ李白にしろ白楽天にしろ、陶淵明をことのほか尊敬したのは、もしかしたらその詩作の深さだけにあったのではないのではないかと、私などは想像してしまいます。そこにはある種の羨望があったのではないかと。

しかし驚くなかれ、41歳で官職を投げ打って、まさに「帰りなんいざ」と「帰去来の辞」を残して故郷に戻り、晴耕雨読の日々に徹した。隠遁生活を厭わず、詩や酒を愛し、悠々自適に暮らしたと聞けば、いかにも人生の達観者の印象を受けますね。唐代の三大詩人もそのような境地に近づこうとして、酒と詩に頼ったに違いありません。


さて予備知識はこのくらいにして、「飲酒」のその五を見ていきたいと思います。

私は「あれっ?」と思ったのですが、その五には「酒」という字が一時たりとも出てまいりません。しかし、酒を飲まずして粗末な庵の垣根に自生している菊を摘み、悠然と南山を望むというようなことができるわけがない。(笑!

ちなみに菊は花をめでようとして摘んだのではなく、食用にせんがために手折ったのだと、漢字学者・阿辻哲次氏はその著書「遊遊漢字学」で指摘されています。

う~む、「菊」「南山」そして「酒」と字を重ねれば、「仙人」という二文字さえ湧いてくるではありませんか。


官吏・官職に走り栄華・栄達に執着したのは、ははるか遠く昔のこと。今はこの辺境の庵が最良の住まい。杯中の酒を愛し詩を詠ずる日々の中にこそ、私は真意を見出したいのだ。これを何と表現すればよいだろう。


はあ~、・・・これはもう「達観派」とでも言うしかありませんね。






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酒にまつわるもろもろの話 PART18「内(ない)に贈る」


中国唐代の三大詩人といえば、李白、杜甫、白楽天。歴史にその名を残すこの三大詩人の酒癖について語ってきました。


白楽天を「理性派」
とすれば、杜甫は「苦悩派」であろうと。残されたもう一人、李白にいたっては皇帝からの招へいの使者が訪れても飲んだくれている方を選んで、「自 称 臣 是 酒 中 仙」と使者を追い返したというのですから、これはもう「超越派」としか言いようがないというのが私の主張です。

さて李白とその酒について語ろうとすれば、どうしても取り上げずにはいられないのが、妻に贈ったとされる五言絶句、「内(ない)に贈る」。ここにも桁外れの「超越」ぶりを見て取ることができます。


 三百六十日   三百六十日
 日日醉如泥   日日醉ひて泥の如し
 雖為李白婦   李白の婦と為ると雖も
 何異太常妻   何ぞ太常の妻に異ならん


当時の暦は一年が360日。毎日々々飲んだくれていたんですね。(笑!

泥とは泥虫(どろむし)のこと。私もしばしば経験するところの「泥酔」は、これが語源となったのでしょうね。(苦笑!

言わずもがなではありますが、「泥」と「妻」に韻を含ませるとは心憎いばかりです。

「太常(たいじょう)」とは宮中で天使の祖先を祭る役人のこと。
「漢詩酔談」
によれば、後漢の時代に太常であった周沢(しゅうたく)のことを指すとありました。

この周沢なる男とは、李白とは正反対の謹厳実直を絵に書いたような人物で、1年360日のうち359日禊(みそぎ)をして宗廟に仕えたというオソロシイ男。ある日体調をくずして斎宮で倒れた周沢を心配した妻が宗廟に赴いたところ、宗廟を穢したと言って烈火のごとく怒ったという逸話が語り継がれているということです。


「お前は俺の妻となったけれども、こんな酔っ払いですまないねぇ~。これじゃ~、まったくかの伝説となった漢の太常・周沢と同(おんな)じだ。うぃ~」って、すさまじい「超越派」としか言いようがありません。






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酒にまつわるもろもろの話 PART17「惜しむ可し」


中国唐代の三大詩人といえば、李白、杜甫、白楽天。歴史にその名を残すこの三大詩人の酒癖について語ってきました。白楽天は「理性派」、杜甫は「苦悩派」。李白にいたっては「超越派」とでもいうべきであると。

白楽天について、その酒を「理性派」と断ずる根拠を、私は「卯時(ぼうじ)の酒」に見出したのですが・・・。

次に杜甫の性癖についても語らなければならないとしたものですが、これが杜甫の生涯を調べれば調べるほど、なかなかに辛いものがあります。大唐帝国の官吏を志し仕官の道を探れど叶うことなく、貧しさから末の子どもを餓死させてしまうという悲惨な目にも合っている。

当時の官吏は、自分が思うところの政策を皇帝に献策するにも、それを五語・七語の韻を含んだ文にして書き表さなければならなかったといいますから、詩聖・杜甫にしてみれば、俺ほどのものがなぜにの思いが長い仕官の道の中で鬱積したのかも知れません。

官吏としての出世の道が叶わなかったというのは、杜甫に限らず李白にも白楽天にも言えることですが、若き日々なら別として晩年の3人を比べると、酒の力に頼ったのは3人とも同じ。それがただ一人杜甫のみ、何故に何故にの思いがよりいっそう強まって、苦しみから逃れることができずにもがいていたように私には見受けられるのです。

杜甫晩年の詩「惜しむ可し」にそれを探ってみましょう。


  花飛有底急  花の飛ぶこと底(なん)の急か有る
  老去願春遅  老い去っては春の遅きことを願ふ
  可惜歓娯地  惜しむべし歓娯(かんご)の地
  都非少壮時  都(すべ)て少壮の時に非ず
  寬心応是酒  心を寛(ゆる)くするは応(まさ)に是れ酒なるべし
  遣興莫過詩  興を遣(や)るは詩に過ぐるは莫(な)し
  此意陶潜解  此の意陶潜(とうせん)のみ解す
  吾生後汝期  吾が生汝が期に後れり


まず、私も「春の遅きことを願う」ものの一人です。(苦笑!

「心を寛(ゆる)くするは応(まさ)に是れ酒なるべし」も同感です。ただ「興を遣(や)るは詩に過ぐるは莫(な)し」と言えないところが、悲しくも残念なところです。(笑!


酒を飲んで詩を詠じ、憂さを晴らそうというのなら、どこが「苦悩派」なのだとお思いでしょう。しかし、それに続く結句の2節に杜甫の「苦悩派」たる所以を見いだせるというのが、私の主張です。

陶潜(とうせん)とは、陶淵明のこと。杜甫、李白、白楽天の生きた時代より300年余り前の東晋の詩人。唐代の三大詩人に限らず、後の世の詩人に大きな影響を与えたといわれていますね。李白にしろ白楽天にしろ、陶淵明を師と仰いだ節が見受けられるというくらいですから。

この国はついに私を見出すことなく、安禄山の乱によって国は乱れ、人心は荒み、私も老いさらばえてしまった。ただ酒を飲み詩を詠じ、憂さを晴らそうとする日々である。この気持ちを分かってくれる者など今のこの国には誰もいない。一人陶淵明だけであろうが、生まれて来るのが遅すぎた・・・。

「苦悩派」と呼ばずして、何と言いましょう。









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