どうしてそばを食べるのか?
そば屋を本業にしておりますと、しばしば大晦日にどうしてそばを食べるようになったのかと聞かれることがあります。
年越しそばをどうして食べるようになったかといえば、一般には、
そばのように、長く(永く)健康でありますようにという意味を込めて食べるようになったとか。
金座の金粉や細工かすを集めるのに、練ったそばを用いたことから、そばは金を集めるという意味で、縁起を担いだのだという節。
文字通り何かと気ぜわしい年の瀬で、体調を崩しそうになっても、そばは消化もよく、食べやすく、しかもそばの薬効成分が体調を整えてくれるからだとか、諸説いろいろあるよう。
私もものの本で読んだ受け売りの知識ですので、こうだと断定はしかねるところですが。
一度こんなことがありました。「諸説いろいろありますがね・・・」と、さも知ったかぶりに説明したところ、
「別にそばでなくともうどんだって長いじゃないか。そば粉の代わりに小麦粉を練ったっていいでしょうよ。お粥ならもっと胃腸に優しくて、しかも食べやすくないですか」
と突っ込まれて、ことばに窮したことがありましたね。
まあ、私の場合はそば大好き人間ですから、大晦日に限らず毎日食べてもいっこうに不都合はありませんがね。
なぜ年越しそばを食べるのか?それは大好きだからっていう説はどうでしょう?・・・ダメか?(笑!
「酒とそばと」幻冬舎から好評発売中
この度幻冬舎さんのご協力を得て、拙著『「酒」と「そば」と』を出版しました。このブログの酒とそばについて書いたものを加筆修正したものです。肩肘張らずに気軽にお読みいただけるエッセイ集です。

まず「はじめに」から、書店での立ち読み気分をお味わいください。
はじめに
小粋な蕎麦屋に入って、いきなり「天婦羅そばを一つ」なんて注文するのは、いただけませんな。まあ、うどん屋に入ったわけじゃないのだから、蕎麦屋に入ってそばを注文して何が悪いということになるのでしょうけれど。しかし、もしあなたが「そば通」と呼ばれたいのなら、そして真の「酒飲み」と呼ばれたいのなら、カウンターに座ってまずは厨房からこちらの様子を眼光鋭くうかがういかにも頑固そうな店主の視線を浴びながらも、店の雰囲気をしばし味わうようなそぶりを見せてから、おもむろにこのように言ってみたいもの。
「酒を一本つけてください。熱燗がいいでしょう」
そんな古き良き時代の蕎麦屋の流儀なるものについて書かれた本を、書店で目にしたことがありました。私がまだ高校に上がったばかりのころだったでしょうか。
ほぉ~、蕎麦屋とは、まず酒を飲むところだというのか。俺もやがて蕎麦屋へ入ることがあったら、そんなセリフを吐いてみたいものだと思ったものでした。
・・・あれから五十年、何の因果か製麺業を営むことになった私は、その蕎麦屋へそばを納めに行っては、「毎度ありがとうございます。今日から新そばで打ってあります」などと言うことはあっても、「酒を一本つけてください。熱燗がいいでしょう」などと言ったためしが久しくなかったことに今さらながら気づき、失望に打ちひしがれています。
日々仕事に追われながらも、いつかきっとそんな至高の悦楽を味わうことができる日の来ることを夢見て、「酒」と「そば」のうんちくを秘かに温めていると、驚いたことにこれはこれで楽しいではありませんか。
そのささやかな楽しみの一端を披露して、世の酒好き、そば好きといわれる皆さんと喜びを分かち合うことができれば幸せと、ペンを執った次第です。
「酒」と「そば」、二編に分けてご紹介していきましょう。
まずは「酒」編より、人は何故酒を飲むのでしょうか?
第一部「酒」編
「過ぎたるは及ばざるがごとし」
古来より「酒は百薬の長」といいます。実にいい響きを持ったことばですな。私は常々この心地良い響きを妻に言って聞かせるのですが、妻は私にこう言うではありませんか。
「あら、そういうものですか。では『過ぎたるはなお及ばざるがごとし』って、どのように響きになって?」と。
このほど世界保健機関(WHO)が発表したところによると、2016年に世界で死亡した人のうち約三百万人が、飲酒関連が原因と考えられるということです。「酒は百薬の長」とも語り継がれているのに、これほど多くの人が、飲酒が原因で命を落としているということは、これはやはり飲み過ぎたから、ということになるのでしょうか。
大雑把な計算になりますが、世界の人口を約七十億として、アルコールを摂取する人の数を約半数と考えれば、35億。
3,000,000 ÷ 3,500,000,000 = 0.086% という計算になりますから、なんだ、酒飲みの千人のうちの一人以下じゃないかと胸を撫で下ろした愛飲家の方、多いのではないでしょうか?
しかしながら、どうしても気になるのは、どれだけ飲めば「過ぎたる組」になるのかということ。WHOの定義によれば、大量機会飲酒とは純アルコール換算で60グラム以上の飲酒機会を30日に一回以上持つことと書いてあります。そこで早速調べてみました。エチルアルコールの密度は、0.789g/ml ですから、 60 ÷ 0.789 = 76 ml、ビールのアルコール度数は、概ね5%と考えれば、 76 ÷ 5% = 1,520mlビール大瓶(633ml)二本半という計算になります。同様に清酒のアルコール度数を15%として計算すると、2.8合。
すなわちビールなら三本、清酒なら三合をひと月に一回でも飲む機会があれば、WHOは大量機会飲酒と定めているということになります。
確かにわが国はWHOに加盟しているかもしれないが、私個人はWHOになど加盟していないと主張する人もいるでしょう。見上げた心意気と拍手喝采を送りたいところではありますが、清酒三合以上を飲んだ翌朝のことを常々経験している者からすれば、やはりそうであったかとうなだれるしかありませんね。
あなたはうなだれる口ですか、それとも清酒三合ぐらいではうなだれませんと豪語する口ですか?
う~む、古来より語り継がれてきたことわざ「過ぎたるはなお及ばざるがごとし」とは、なるほど深い含蓄のあることばだと認めざるを得ません。
飲ん兵衛な製麺会社社長が綴る、クスっと笑える蘊蓄(うんちく)が満載。
酒の文化や歴史、あらゆる種類の「○○そば」の由来、偉人の逸話に至るまで。
世の酒好きとそば好きに贈ります。日本人たるもの、これを知らなきゃはじまらない。
ぜひご一読いただければ幸いに存じます。


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そばと落語 PART3 「疝気の蟲(せんきのむし)」
いずれも江戸時代の初めころに流行り出したというそばと落語。
そばが今のように細く切られて食べられようになったのは江戸時代の初めころのことなら、今のように噺家が寄席で客に機知にとんだ「落とし噺」を聞かせるようになったのも、やはり江戸時代の初めごろのことといいます。「落とし噺」だから「落語」というようになったのだと。
新しいもの好きの江戸人は寄席に入って落語を楽しんだあと屋台の蕎麦屋に立ち寄って、一杯ひっかけつつそばをすするのを何よりの楽しみにしたのでしょう。
落語がお好きな方はご存じでしょうが、落語にはそばが出て来る噺が多くありますね。そば道を極めるには落語についても知識を深めることが求められるのではないかと考えました。有名な「時そば」は、皆さんご存じでしょう。どうしてもそばの大食い競争の懸けに勝ちたかった大食いの清兵衛が出てくる「そば羽織」も、有名な演目ですね。
今日は、もうひとつ「落語」に出て来る「そば」の話を取り上げておきましょう。「そば」が大好きという虫の話。そばを栽培していてそばの若芽が大好きという虫には出会ったことはありますがね。人間様が食べるそばが大好きという虫なんているのかと思ってしまいそうですけで、そこが落語の面白さというものでしょう。
その前に普段我われが何気なく使う「虫」という漢字。地面を這ったり羽を持っていて空を飛んだりする皆さんよくご存じの「虫」のことですよ。この「虫」という漢字は、もともとは「蟲」と書くということご存じでしたでしょうか。私なんかは「虫」の複数形かと思ったくらいですが…。
阿辻哲次著『遊遊漢字学(阿辻哲次著 日本経済新聞出版本部)』で、「虫」は鎌首を持ち上げたヘビをかたどった象形文字だと書かれています。すなわち「虫」は「蛇」のことだと。私たちが認識している一般に昆虫のことをさす「ムシ」は、「蟲」と書いたのだと阿辻先生は教えてくれています。
文字を一目見るだけでそれが何を意味しているかたちどころに分かる表意文字漢字は、世界に類を見ない優れた文字ですが、一文字一文字に意味を持たせたがゆえに文字数が膨大な量になってしまった。また字画も多いもので二十画・三十画、中には五十画以上にも及ぶものが出現するに至った。「蟲」は「虫」を三回書かなければならない。面倒だ。そこで同じ「チュウ」と発音する「虫」と書いて間に合わせたというわけです。
同じく『遊遊漢字学』で、阿辻先生は「庚申(こうしん)」という漢字を取り上げています。「庚申」とは、甲・乙・丙で始まる「十干」の七番目の「庚(かのえ)」と、十二支の「申(さる)」とが組み合わさった日のこと。
旧暦で六十日に一度回ってくる。中国の道教の教えによれば、人の体内には三匹のけしからん虫が住みついていて、「庚申」の夜になると、人が眠ったあと口から抜け出して天に昇り、天帝にその人の悪口を言って、再び戻って来るのだとか。
天帝に自分の悪口を告げられてはかなわないですよね。そこで昔の人はどうしたか?眠ってしまうから、よからぬ虫が動き始めるのだろう。一晩中起きていればいいじゃないかというわけで、庚申の日になると仲間たちが一堂に集まって、徹夜で飲み食いをして過ごしたというのです。そしてその集まる場所のことをやがて「庚申堂」というようになったと。
また阿辻先生は、飲み食いの他に徹夜で過ごす方法について言及しておられます。言わずとも知れよう、夫婦で朝まで布団の中でしっぽり過ごすことだと。しかしこの方法は、庚申堂に一堂に会するという村の団結を乱すことになりかねないので、心しなければならないとも。なるほど、夫婦仲は良くなっても村八分にされちゃあたまらんか?
あっ、夫婦仲の良し悪しを書こうとしているのではありませんでした。そば好きの「蟲」が出て来る落語があるということをお話しようとしているのでした。話を本題に戻します。
おそらくこの「庚申」伝説からきているのではないかと、「故事・伝承、民族・風俗学者」(←私のことです)は睨んでいるのですが、阿辻先生のようにしっかりと資料を検証して発表なさった学説とは違いますから、まったく定かではありませんが。
またまた話のオチまで言ってしまうことをお許しください。
夢で変な「蟲」に出会った医者、つぶそうとすると「蟲」が口をきいた。自分は疝気の「蟲」(せんきのむし)であると。人の腹の中で暴れ、筋を引っ張って苦しめているのだが、自分は無類のそば好き。しかし唐辛子はいけない。これに触れると体が溶けて死んでしまうと。そばに唐辛子はつきもの。唐辛子が入ってきたらどうするのだと尋ねると、「蟲」はこう言ったのであった。その時は唐辛子が及ばない男のふぐり(陰嚢)に逃げ込みますと。
翌朝夢から覚めた医者の元へ、疝気に苦しんでいる人から往診の依頼が入った。医者は夢で「蟲」から聞いたことを早速試めしたというのですか、まったくいい加減な医者もあったものです。疝気に苦しむ患者のお内儀に、旦那にそばの匂いをかがせながらその目の前でそばを食ベルようにと言う。疝気の蟲はそばのにおいにつられて旦那ののど元まで顔を出す。そばを食べているのがお内儀であることを知った蟲は旦那の口から飛び出して、そばを食べているお内儀の体内に飛び込んだ。たちまち苦しみ出すお内儀に、医者は唐辛子を食べろという。
入ってきた唐辛子に驚いた疝気の「蟲」は、一目散に腹を下って、安全な場所へ逃れようとする。しかし女性であるお内儀の体内に逃げ場を見つけられず、そこで噺家は疝気の「蟲」になりきって、首をひねったり、キョロキョロ見まわしたり…。「お後がよろしいようで」と噺家は退場する。
ふ~む、それでそばには七味唐辛子がつきものだったのか。これからは、ちょっと多めにかけようっと。
いったい落語にはそばが出て来る噺はいくつくらいあるのでしょうか。そばを極めるには、どうも落語にも精通しなければならないようです。


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そばと落語PART2「そば羽織」
そばが今のように細く切られて食べられようになったのは江戸時代の初めころのこと。新しいもの好きの江戸の街で、当時そば切りと呼ばれたそばは大人気の食べ物であったとか。ではそれまでそばはどのようにして食べられていたかというと、むき実のまま煮てお粥のようにして食されていたということです。これは何といっても日本は瑞穂の国、米の影響が大きかったということでしょう。米は挽いて粉になどはせず、粒のまま煮たり炊いたりして食べますからね。
そば切りが食べられるようになった当時の江戸の街で、もう一つ江戸の町民に人気があったのが落語。ご承知のように落語はオチが命。機知にとんだオチ(サゲともいう)で噺が結ばれる。オチがあるから「落とし噺」、ゆえに「落語」と呼ばれるようになったのが、やはり江戸時代の初めごろのことといいます。
新しいもの好きの江戸人は寄席に入って落語を聞いたあと屋台の蕎麦屋に立ち寄って、一杯ひっかけつつそばをすするのを何よりの楽しみにしたのでしょう。
落語がお好きな方はご存じでしょうが、落語にはそばが出て来る噺が多くありますね。そば道を極めるには落語についても知識を深めることが求められるのではないかと考えました。昨日は有名な「時そば」をご紹介しましたが、今日は「そば羽織」。どうしてもそばの大食い競争の懸けに勝ちたかった大食いの清兵衛が出てきます。
うわばみが人を飲み込んだ後に、「蛇吟草」という野草を舐めると、たちまちのうちに膨らんだ蛇の腹がへこんだという。ひそかにその「蛇吟草」を携えて大食い競争にのぞんだ清兵衛。そばを腹いっぱい食って、その「蛇吟草」をひとなめ。またそばを食おうとすると清兵衛がたちまちのうちに消えて、そばが羽織を着て座っていたというオチ。
話のオチまで書いてしまうとはなにごとだと、お叱りを頂戴しそうですが、皆さんご存じの落語だから、お許しください。
でもたとえこうやって最後のオチまで書いてしまっても、文字にしてしまえば実にくだらぬ話。「ふふん」と一笑にふしてしまいそうです。しかし、これが志ん朝や談志が高座で演ずるとなると、笑いもさることながら、「う~ん」とうなったきり、しばらく席を立つことさえままならなくなる。志ん朝や談志はすでに鬼籍に入られて久しいですから、今となっては生で噺を聞くというわけにはいきません。誠に残念なことであります。
いったい落語にはそばが出て来る噺はいくつくらいあるのでしょうか。落語もまた細くて長いそば同様、奥が深そうです。


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「二八ちそば」
「そば」について語ろうとするとき、どうしても「二八そば」を省略することは出来ませんね。
なぜ「そば」の頭に「二八」とつくのか。所説いろいろある中で、そば粉とつなぎの小麦粉の比率からきているというものと、当時のそばの値段十六文からきているというものが最も有力であろうことは、素人目に見ても容易に想像できます。
まず、そば粉とつなぎ粉の比率節から。
『蕎麦辞典』(植原路郎著 東京堂出版)によれば、「つなぎに小麦粉を用いることを知ったのは、寛永年間奈良東大寺へ来た朝鮮の僧侶元珍という説がある」と書いてあります。それまでは、生粉(そば粉だけのことをさす)で打っていたと思われます。
「小麦粉はそば粉よりも原価が高かったという今日とは逆の現象だったので、小麦粉の使用に考えが及ばなかったのであろう」とも書かれています。日ごろ麺の製造に携わっている私から見ても、なるほどもっともなこととうなずけます。
さて寛永年間といえば、1624年から1644年までの20年間。家康が江戸に幕府を開いたのが1603年、秀忠に将軍を譲り駿府に隠居したのが1605年のこと。その秀忠のあとを受けて家光が三代将軍についたのが1623年。それから1653年までが家光の時代ですから、まさに家康から三代経て、もはや徳川に弓槍を向ける者がいなくなった時代に、広くそばが食べられるようになったことがうかがえます。
需要が増加すれば供給を増やさなければならないのは、江戸時代にあっても経済の大原則。そば粉だけで打つそばは、どうしても生地がつながりにくくボソボソと切れやすい。小麦粉をつなぎに用いれば、小麦粉のグルテンの作用でしっかりとつながる生地になる。生産効率の面からも見ても理にかなった打ち方と言えるわけです。
そこで小麦粉二、そば粉八の割合でそばを打つと、上手に打てる。これが「二八そば」と呼ばれる所以というわけです。
ところが「二八」という文言は、そばだけに限らずうどんにも使われており、「二八うどん」というものがあったという文献も散見されるということですから、小麦粉だけを使って打つうどんのことを考えると、そば粉とつなぎ粉の比率説は、根拠を失ってしまう。
やはり、「二八の十六文」の値段説ということになるのでしょうか?

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蕎麦屋のお品書きからPART5
「月見そば」、「天ぷらそば」、「鴨南蛮そば」と見てきました。昨日は「にしんそば」も調べてみました。今日は「おかめそば」にしましょうかね。

「おかめ」は古くから日本に伝わる仮面のひとつ。丸顔におちょぼ口、低い団子鼻がちょんと真ん中についていて、ふっくら膨らんだ両の頬に赤い頬紅をさしている。
この仮面をそばが盛ってある丼の中で食材を用いて再現したのが「おかめそば」。
『蕎麦辞典』(植原路郎著 東京堂出版)には、「おかめそば」が挿絵付きで紹介されています。目で見るとなるほど、「おかめ」とよくわかります。「蝶形に真ん中を結んだ湯葉を両の目、鼻は三つ葉(または松茸)で、蒲鉾を頬に、口は椎茸が基本」と説明してあります。
幕末のころ、「上野池之端に近い七軒町のはずれに太田屋という蕎麦屋があり、そこの何代目かが創案したもの」と書かれているところをみると、「おかめそば」もまた「天ぷらそば」と同じように、比較的新しい種物のそばであることがわかります。


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