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引っ越しそば


ウエブトピックスより、
「引っ越しそば」の大誤解 「新居で食べるそば」は間違い

・・・なになに、「引っ越しそば」って転居先の新しい住まいで食べるものだというふうに勘違いしている人が多いですって。

リサーチ会社が実施した調査によれば、「引っ越しして新しい家で引っ越し蕎麦食べた」とか、「予定どおり引っ越しを終え、早めの夕飯は『引っ越しそば』」のように、引っ越しをする本人とその家族が「転居先で食べるそば」のことだと勘違いしている人が半数近く(48.9%)もいるということです。

まったく困ったものですな。それでは私が講釈をたれるとしましょうか・・・。

そもそもそばが今のように長く切られて食べられるようになったのは、江戸時代の初めのこと。それまではそばのむき実をそのまま煮ておかゆ(そばがゆ)のようにして食べたり、粉に挽いたとしても水でこねて団子(そばがき)のようにして食べたと言われています。

そばの新しい食べ方は、当時の江戸でそば切りと呼ばれ、その安さと相まって大流行したのだそうです。

江戸時代中期になると、そのそばを引っ越し先の隣近所に挨拶がわりに配るという風習が流行り出し、これが「引っ越しそば」の始まりというわけ。

現代では自分の住むマンションの隣の住人の顔さえ知らぬ人が多くいるということですから、「」は隣近所に配るものから、自分で食うものに変わってしまったというのもあながちわからぬでもありません。

「お側(そば)にやってきました」、「細く長いお付き合いをお願いします」といった意味を込めた粋な江戸の町民の風習が、こうやって忘れ去られていくのはさみしい限り。そばという伝統的な食べ物に従事する者としては、ため息しか出て来ませんな。

しかし、「転居した際、その近隣に近づきのしるしに配るそば」であったものが、「新しい転居先で食べるもの」に変わったにせよ、まあ、そばを食べてくれる人がいることに変わりはないというもの。これはこれでそば屋にとっては有難いことだと、現金な考えを巡らしたりもしています。(苦笑!







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年越しそば


今年も残すところ今日を入れて6日となりました。何となく気忙しい思いがするのは、今年一年やり残したことがあまりにも多いからでしょうか?

私はそば屋ですから、そば屋はこれからが稼ぎ時。残された6日間、ただ気忙しい思いだけで過ぎてしまっては悲惨です。これから大晦日まで、文字通り肉体的にも忙しくてこそ実入りもあり商売も成り立つというもの。

皆さん、年越しそばはお食べになられますでしょう?

・・・ナニ、食べないですと!?

お食べにならないと、年が越せませんぞ。(笑!



日本に古くから伝わる良き伝統・年越しそば。大晦日にどうしてそばを食べるようになったかと言いますと、いろいろ諸説があるようですが・・・。

そばのように、長く(永く)健康でありますようにという意味を込めて食べるようになったとか。

金座の金粉や細工かすを集めるのに、練ったそばを用いたことから、そばは金を集めるという意味で、縁起を担いだのだという節。

文字通り何かと気ぜわしい年の瀬で、体調を崩しそうになっても、そばは消化もよく、食べやすく、しかもそばの薬効成分が体調を整えてくれるからだとか。


皆さん、ぜひ年越しそばを召し上がられて、新しい年をお迎えください。

蛇足ながら、年越しそばは一杯と限ったものではありません。何杯お食べになられてもいいのです。(笑!

たくさん召し上がられたからといって、食べた分多く齢をとるということも決してありませんから、ご安心を。(爆笑!










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・・・そばが好きでよかったなあ。


現代に生きる我々が使用する暦は、地球が太陽の周りを回る日数をもとに算出された太陽暦(グレゴリオ暦)であることはご承知の通り。

古の昔より千年以上用いてきた太陰暦から現在の太陽暦に変えたのが、明治5年のことでした。1872年(明治5年)11月9日、当時の明治政府は、この年の12月3日を1873(明治6)年1月1日とすることを発表し、闇雲ともいえるほどに改暦を急いだ経緯についてものの本で読んだことがあります。

近代国家の建設と世界から文明国家と認知されるには、太陽暦の採用は必然だったことは言うまでもありませんが、当時鉄道の開業、学制や徴兵令発布などさまざまな改革の実施により、明治政府の財政は破綻寸前に追い込まれており、このことが改暦までの期間が僅か23日という突然の実施につながったというのです。

旧暦では明治6年は閏の年(閏月を間に挟み、1年を13ヶ月とする)にあたり、改暦することによりこの1ヶ月と明治5年の12月の1ヶ月、都合2か月分の人件費をはじめとする政府予算を節約できると、当時の参議大蔵卿であった大隈重信が考えたことがそもそもの発端だったというのは耳に新しいことです。

月の満ち欠けを基準とした太陰暦で生活してきた庶民は、突然の太陽暦採用により大混乱したのは言わずもがな。大陰暦だと毎月1日と月末は新月、15日が満月、その間を月が満ち欠けすると決まっていた。「晦日(30日)に月が出る」とは、当時絶対にありえないことをいったたとえですが、庶民は「晦日に月がいづれば、玉子の四角もあるべし」と嘆いたということです。

その旧暦と新暦のズレは、現代の我々の生活にも及んでいるのは、皆さんご承知のことですね。未だに旧暦で正月を祝う地方もあるようですが、毎年帰省客で交通が混乱する8月15日を挟むお盆休暇は、依然旧暦のままです。年賀状に「初春のお慶びを申し上げます」と書いたりするのも、考えれば不自然と言えそうです。


ところで12月14日は、赤穂浪士が吉良邸に討ち入って、主君浅野内匠頭の無念を晴らした日。赤穂藩があった地元兵庫県赤穂市では、毎年12月14日には義士祭が執り行われて、師走の風物詩にもなっているそうですが、1702年(元禄15年)12月14日は、現代の暦に換算すると、翌年1703年1月30日となるそうです。

赤穂浪士の討ち入りが、正月気分も抜けた30日に行われたなんて言われても、何だかピンと来ませんね。

私は過ぐる14日、赤穂の義士を偲んで「討ち入りそば」をすすったのでしたが、そうすれば年が明けての1月も終わりの30日に、再びそばを食べなければなりませんね。もちろん大晦日には年越しそばは欠かせませんから、12月と1月は晦日に合わせてそばをすするということになりましょうか。・・・そばが好きでよかったなあ。(笑!







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そば湯について


そば湯はなぜ飲まれるのか?

そのまえにそばとうどんの違いについてみていきましょう。

原料となるそば粉と小麦粉の栄養成分の違いについて書かれた資料(日穀製粉(株)研究室の資料です)によれば、含まれるたんぱく質が大きく異なっており、それがうどんとそばの性質を大きく違わせているということがわかります。








そば粉と小麦粉のたんぱく質の違い
タンパク成分 そば粉小麦粉
備 考
アルブミン   12.1%11.1%
水 溶 性
グロブリン  53.8% 3.4%
塩可溶性
グルテニン   21.6%13.6%
プロラミン   11.3%
-
-
低分子  
-
5.3%
-
グリアジン  
-
33.3%
残渣タンパク質
-
33.4%
-


小麦粉の主たるタンパク質は分子が大きく、これを水と練り合わせると、○印のグリアジンとグルテニンが水和することにより、グルテンを形成してさらに大きな分子になるのです。

このグルテンは麩質と呼ばれ、うどんやラーメンのおいしい食感にはなくてはならないものなのです。そう、うどんのコシは、このグルテンが決め手になるのです。

一方そば粉に含まれるタンパク質は比較的低分子で、表からも分かるとおり水に溶けやすいのです。また、グリアジンが含まれないので、水と捏ね上げてもグルテンが形成されないので生地がつながりにくい。それでつなぎに小麦粉を使って、そばを打つということが編みだされたのです。

これが、二八そばとか五割そばとかいわれる所以なのです。十割そばというのは、この水溶性のタンパク質とでんぷん質をうまく糊状にまとめて捏ね上げて打つ方法で、余程の職人さんの打ちたて、茹でたてを食べない限り、やはり細かく切れやすい。


さて、そば湯に戻りましょう。そば屋ではそばを食べ終わったころにそば湯がだされますが、うどん屋でうどん湯がだされたという記憶などありませんよね。なぜか?

そば湯


これも先にあげた成分表をみれば一目瞭然ですね。そばに含まれる良質のタンパク質や栄養成分が、ゆでるときにゆで湯の中に溶け出すので、蕎麦を食べたあとに、だし汁をそば湯で割っていただくという知恵がそば湯というわけ。そば通の中には、蕎麦よりこのそば湯がお目当てという方がいらっしゃるというのですからね。

昔の人は、エライですね。このようなことを理屈抜きで経験で学び、生活の中に取り入れていたのですから。しかもそれが面々と今日まで受け継がれて来ているのですから、この文化を継承せずば、昔の人に叱られようというものです。







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忌み言葉


皆さんは、忌み言葉ということをご存知でしょうか。

私も、井沢元彦さんの逆説の日本史を読んではじめて知ったことですが、日本人は無意識のうちにこの忌み言葉の文化にどっぷりはまっているというのです。

分かりやすい例をあげれば、歴代の天皇のことを当時の人はどのように呼んだのか?

その答えは、声に発するのさえ恐れ多くて○○天皇などとは決して呼ばなかったと言うのです。呼ぶことさえ忌み嫌うべきことであったのです。後に書物などで○○天皇と著してあるのは、必ずその天皇が崩御してからのことであったと井沢さんは言っておられます。

・・・ナルホド、NHK大河ドラマなどを見ると、ごくごくお側の者だけが「お上」と袖で口をふさぐように発し、それに対して、「みは~であるぞ」などと自分のことを「み」と言わせているのは、時代考証に合致したものなのかなと思います。

また憤死など非業の死を余儀なくされた人物の祟りを非常に恐れたゆえに、社(やしろ)を造り神と崇め、その人物の霊を鎮めようとしたと。菅原道真を祀る北野天満宮しかり、古くは出雲大社の巨大な社殿しかり。

靖国問題をヒステリックなほどに騒ぎ立てる中国と韓国の指導者は、2000年もの昔から培ってきた来た日本人固有の祟りを恐れ、汚れを忌み嫌う文化を正しく理解しているとは思えません。


さて前書きが長くなりました。「蕎麦考」(永友 大 著)よりそばと忌み言葉に関連することをご紹介しましょう。

かって宮中では「そば」も忌み言葉であったと言ったら、読者の皆さんはさぞかし驚かれることでしょう。
sobanomi.jpg

その理由は、そばの実の形にあります。そばの実はエジプトのピラミッドを目一杯に小さくした形、そう三角錐の形状をしているのです。その三稜をもった三角(みかど)が帝(みかど)に通じるために、

「今宵の夕餉はそば粥なぞを・・・」

などと女官が言おうものなら一大事で、神社仏閣に帝の安泰を願って祈祷をしなくてはならない、ってなことにきっとなるんでしょう。


sobanohatomi.jpg

では、どう呼んだか?幸いそばの葉の形が葵の葉に似ていることから、「そば」を「あおい」と呼んだというのですから、う~んと唸ったきり、言葉を失います。



ひょっとすると、葵の紋(徳川幕府)を食べちゃうと言う隠れた意味もあるのかなと思ったりもするのです。さて、果たして本当に "お上" は、「みは葵粥を所望じゃ・・・」などとおっしゃたのでしょうか?

一方、今のようにそばを細く切って食べるようになったのは、江戸時代の初めといいますから、江戸は将軍の街、町人は誰にはばかることなく気軽に

「おぉ~ぅ!そば食っていきなっ!!」

「そいつはありがてぇ~!ごちになっていくぜぃ~!!」

なんて言ったんでしょうね。


下々の身の上といたしましては、江戸の庶民に軍配を上げたくなるのは、仕方のないところでありましょうか。









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