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古人もスーパームーンは見ていただろうに・・・。


昨夜は日本各地でスーパームーンが観測されたということです。
太陽と太陽の周りを回る地球、そして地球の衛星である月の軌道上の位置がどのような配置になったときに、月が大きく見える現象が起きるのか、またその配置は何日ごとに繰り返されるのか、私にはその知識がありませんが、前回スーパームーンが話題になったのはついこの間のこと、今年の3月のことでしたから、一月ごとに発生するということ?

おそらく今回たまたま太陽と地球、そして月の軌道上の配置が短い間隔でそのようになったということでしょう。毎月スーパームーンが観測されるって話聞いたためしがありませんからね。


有史以来私たちの先祖は、月を見て来たのは疑いのないことですが、日本人はなぜか月が大きく見えることにはあまり注意を払わず、月が満ち欠けすることに強く琴線を揺さぶられたようです。


天の原ふりさけ見れば春日なる 三笠の山に 出でし月かも 阿倍仲麻呂

月やあらぬ春や昔の春ならぬ 我が身ひとつはもとの身にして 在原業平

願わくは花の下にて春死なん そのきさらぎの望月の頃 西行


古の人たちが月を見て詠んだ歌は、それこそ数あまたありますが、私が今思い出せるのは、上記の三首。私の拙い知識によらずとも、月がいつもより大きく見えるというようなことを歌にしたものは、まったく見当たりませんね。





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スーパームーン


遠くにあるものは小さく見え、近くにあれば大きく見える。これは普段我われが経験していることですから、別段不思議なことではありませんね。

ところがその対象物が月となると、普段より大きい月が観測されるというのは、人の心に新鮮な驚きと感動を生じさせるものです。

ウエブトピックスより、
世界各地でスーパームーンを観測 巨大な?月が夜空を照らす

同時に配信されている写真を見ると、これは確かに大きい。スーパームーン(super moon)という言葉は正式な天文用語にはないということですが、これほど的確に事象を表現している言葉は他には見当たらないでしょう。

さて、太陽の周りを回る地球とその地球の周りを回る月の軌道上の位置によって、スーパームーンは周期的に観測されるわけですが、これは今に限ったことでなく銀河系に太陽とその惑星の地球、そしてその衛星である月が出来てよりこの方、繰り返されて来た天文学的事象であるわけで、有史以来の我々の先祖も月が明るく大きく見えることが繰り返されることを知っていたはずです。

それは日本でも同様であるはずなのに、日本人はなぜか月が大きく見えたり小さく見えたりすることにはあまり関心を払わなかった。むしろ月が満ちたり欠けたりすることに強い趣を抱いた。

それは月に関する言葉をあげてみてもわかりますね。「望月」「三日月」「十五夜」「十六夜(いざよい)」・・・。

これに対してスーパームーンをいう言葉はと探してみても、「大月(おおつき)」という表現にしてもはたして正しくスーパームーンのことを指しているのかというと、どうも怪しい。


月見ればちぢにものこそ悲しけれ
  わが身ひとつの秋にはあらねど

と詠んだ古の歌人は、いかなる月を見て憂愁に沈んだのでしょうか。少なくともスーパームーンなどではなかったと思いたいものです。




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月みればちぢにものこそ悲しけれ


一昨日9月12日(木)の日本経済新聞の気象欄を見ますと、昨日9月13日の暦が載っていて、旧8月15日と書き添えられています。月齢は、13.7となっています。昨晩は各地で中秋の名月を観賞された方も多いのではないでしょうか。

ものの本で読んだ話の受け売りですが、月をめでるという行為を楽しむのは日本人だけそうですね。アメリカ人に月見をしようと誘ったら、当日望遠鏡持参でやって来たのには往生したとか。なるほど月見に違いありませんが、日本人のいう月見の感覚を教えるのに苦労したということです。


月みればちぢにものこそ悲しけれ わが身一つの秋にはあらねど


観月に望遠鏡を覗こうとするかのアメリカ人に、月を見ると身の回りのことがあれこれ際限なく悲しく感じられてくる。私一人だけではなく、みんな月を見ているだろうに(みんなもやはり悲しい気持ちになっているのだろうか・・・)と詠じた、古の平安歌人の心の中を見せてやりたいですな。





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「晩夏」の響きPART2


紅くして黒き晩夏の日が沈む 誓子

山口誓子の目には、晩夏の日が紅くて黒く映ったということです。


人が夏の終わりに抱く物寂しい感情を紅くして黒いと表現したこの俳人の非凡なる感性には、驚き入るばかり。


春夏秋冬季節は巡るのですが、季節の終わりに同じように「晩」をつけても、どうして挽歌だけがこうももの悲しく感じられてしまうのでしょうか。






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武蔵野


今や花の都東京の新名所となって久しい東京スカイツリー。その高さ634mは、かっての武蔵の国の「ムサシ(六三四)」にあやかったものというのは、皆さんご承知のとおり。

逢坂の関より東へは足を踏み出したことがないという古の都人は、武蔵の国などというのは、家康が江戸に幕府を開いてからさえも、僻地も僻地、人の住むところではないと思っていた。

事実、「武蔵野は月の入るべき山もなし 草より出でて草にこそ入れ」という狂歌が残っているくらいですから、荒漠とした荒れ野原であったことが想像されます。

今私が狂歌と言ったのは、この歌には別の意味が込められていて、荒れ野原を歌ったというよりは、むしろこちらの方が本筋と言えるくらい。


江戸の美味いものを題材にして、当時の人々の暮らしと生き様を鮮やかに蘇らせるエッセイ「大江戸美味草紙(むまそうし)」(杉浦日向子著)に、この歌が紹介されております。

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その「酔い覚めて」の章より、酒について。江戸人はどのくらい酒を飲んだか?杉浦さんは文献を徹底的に調べて、当時の酒量をこう計算しています。

上方から入って来る上質な清酒(下り酒)は、一樽が3斗6升入りで年間100万樽。当時の江戸の人口を100万人として、その半数が飲酒したとすれば、1人1年7斗2升、一か月6升。すなわち一日2合、休肝日なし。

このほかに関東の地酒が年間15~16万樽、焼酎が3万樽消費されたことを合わせると、まさに江戸は酒びたしの街であったと。江戸ッ子がおっちょこちょいで喧嘩ッ早いのは、いつもほろ酔いかげんだったからではないかとまで言わしめています。

江戸人と酒を語るとき、冒頭にあげた「武蔵野」は切っても切れない関係にあると、杉浦さんは書いておられます。


武蔵野は見渡す限りの原野。すなわち、野見尽くせぬ地。呑み尽くせぬ・・・。

そこで呑み尽くせぬほどなみなみと酒の入る大盃のことを「武蔵野」と呼んだのだと。

この「武蔵野」を使った大酒飲み大会の記録が残っているのだとか。文化14年(1817年)3月23日、両国柳橋の料亭「万八桜」で行われたのだそうです。その記録たるや俄かには信じられないほどの大記録。

68歳の堺屋忠蔵さんは、3升入る「武蔵野」で3杯(9升)飲んだとか。かたや30歳の鯉屋利兵衛さんは、こちらはなんと6杯半(1斗9升5合)。さすがに酔いつぶれてしまったそうですが、この話には続きがあって、利兵衛さんは目覚めてから茶碗に水を17杯飲んだということです。

・・・よく目が覚めたものだと感心しますね。(笑!


酔い覚めのぞっとするとき世に帰り

あの世から急転直下生還したような気持、したたかに酔いつぶれ、目覚めたときの酒飲みの心中を押し測った川柳、見事ですね。

水を17杯飲んだという利兵衛さん、閻魔大王に酒臭いと言われ、この世に舞い戻れたのでしょうか?







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